「正しい自分」しか話せなくなる … 危うさ

 

引き続き、事前メール講座をご精読、心温まるフィードバックもしていただき、本当にありがとうございます

 

ほんわか倶楽部・事務局の村田 敦(つとむ)です。

自己紹介ページは、こちら

 

前回からの…

 

この続編で全3回に渡って送らせていただいている、今回が3回目です。

よければ、引き続き、ご精読いただきましたら、しみじみと有り難いです。

 

 

○ 「正しい自分」しか話せなくなる … 窮屈さ

 

現実的に、ほんわか倶楽部では傾聴以外の展開」をされてしまうと後になってクレームの元になりやすいというところも、私自身、複数、経験済みです。

接待をするつもりではありませんでしたが、味方として接しようとするほどに、ご本人に偏った主観的な関わり方にもなってしまいます。

そう観ると、奥底のほうでは、ほとんどが「接待サービス」を求めて来られるわけではないから…とも言えます。

当初、「いくつか(傾聴セッションの場を)経験しただけで慢心ほど、愚かなものはないな…」と、ズシーン…と痛感した体感もよく覚えています。

 

クライエントさんからしたら…

「今日は"あなたは正しい"と認めてくれたけど…」

「ジャッジしてくる人は、今は味方してくれていても…」

「矛先が変われば… もしかしたら…(アスハ ワガミ?!)」など…

 

もし、少しでも思われるような聞き方だったとしたら、それは傾聴とは、まったく別のものではないでしょうか?

それでは、「聴き手」が思う「間違っていない・世間的に正しい自分」しか話し手は見せられない状態になってしまいます。

ましてや、「無条件の積極的関心(または肯定的配慮)」・「共感的な理解をしようとする姿勢」とは、正反対のものとならないでしょうか?

 

自分と違う価値観であっても、たとえ、たとえ、許せない相容れない考えであっても…

「自己一致」をしながら聴けるようになるために、学びと実践練習があるとも言えます。

 

「あなたは正しい」と評価する関わり方も「間違っている」と評価する態度も、表裏一体で同じようなものではないでしょうか?

少なくとも「分析・ジャッジ・評価」の世界線といえます。

 

それは、一体、なに視点でしょうか?

傾聴者は「評価をする立場」にはありませんよね。

試験官でも、警察官でも裁判官でも、評論家でもアナリストでもありません。

 

もし、時代や国家、コミュニティ、さらには人によって違うような「正しさ」を前提としてしまうならば…

ほんわか倶楽部は「常識は知っている。でも、出来ないという人の話は本心からは聴けない場所となってしまい、支援者チームとしては、とてもとても窮屈で残こくのように思えてしまい、私はどこかゾワゾワと身の毛がよだちます…。

 

内訳は書けないですが、私は「常識は知っている。でも、出来ないという方々のお話も、たくさん沢山、聴かせていただいてきて…

その奥にある、哀しみややり切れなさ…等々の心情にも、たくさん接して、一緒に漂わせていただいて来ました。

(念のため、みんなで「ルールを破って、常識外れなことをしよう」という意味ではありません笑)

 

○「間違っている・正しい」

 

良きにつけ悪しにつけ、何かしらの評価を聞き手が決めてしまう関わりは、それは傾聴ではありません。

聞き手がそれらのジャッジや評価めいたものを口にした途端、もしくは態度(口調など)に出した途端、それは言葉として、または言葉を超えて感じられてしまいます。

ご存知のように、心の関わりで誤魔化しは効かないからですね。

たとえ、どれだけテクニックを駆使しようとも、どこかで感じられて、何かの違和感やモヤモヤのように潜在的には残っていきます。

積もり積もってくると、内臓感覚や身体感覚で敏感に感じられてくる場合も少なくありません。

 

そうして「あぁ、もし、私が間違ったことをしたら、この人には話せないんだ」となってしまうなら、「無条件の肯定的配慮」からも「共感的な理解をしようとする姿勢」からも離れてしまいます。

「共感」と「同感」は違います。

 

もし、話し手の方が「正しい「常識的な自分しか見せられない」としたら、それは傾聴なのでしょうか?

それでは、「本来の傾聴」が求めるところから、大きく外れてしまっているように思います。

また、「正しい・間違っていない」と傾聴者が口にしてしまうジャッジは…

次の章に記す内容も踏まえて、場合によっては"衝撃的なほど無責任な発言"ともなってしまいます。

 

(ほんわか倶楽部では、クライエントさんに向けて、受付の流れやご利用規約などのルールは守っていただきます(このことが傾聴メンバーさんも守る前提となっていきます)が、それ以外のところで「正しい人」以外、受け付ないとは決してしていません。)

 

○「あなたが正しい」と言ってくれたから

 

もし…

 

「あなたが正しいと言ってくれたから、私は問題に思っている相手に"正しさ"をぶちまけた

「そうしたら大問題になって、その場にいられなくなって、明日から困ることになってしまった…」

「どうしよう… あなた、正しいって言ってくれたじゃない!?」

「私は、傾聴カウンセラー先生の、あなたを信じて(どこか鬱憤を晴らすため)勇気を出したのに…」

「私は毎日、追い詰められたような心境だったから…。やっと…解放されると思ったのに…」

 

…etc……etc…etc…etc…etc……

 

もし、例えば、このように予想だにしていなかった事態が発生してしまったとしたら…?

それは「話し手さんの拡大解釈だから、聞き手の責任ではない」と正論を述べて防波堤を作り、それで心から納得して腑に落とすことができるでしょうか?

ましてや、いきなり、「それは、あなたの課題・問題ですから…」と突き放すのでしょうか?

 

それ以前に、なぜ、「本来の傾聴」では「分析・評価・ジャッジ」をしないのかという、その意味を、よくよく大事に考え続けていく姿勢が求められているのだと思います。

「普通の会話」(忖度や接待を含む)と「真摯な傾聴」という独特な世界の違いを、伴に感じていきたいですね^^

ほんわか倶楽部では、慣れ親しんでいる「普通の会話」(忖度や接待を含む)に料金をいただく方針ではなく、「真摯な傾聴」だからこそです。

目先のサービス満足度より、奥のほうでの消化・昇華に向けていけるかもと話し手の方が感じられていくほどに、おのずとリピートになって、中身もより傾聴に近づきます。

 

 

 

ご精読いただき、誠にありがとうございます

 

 

◯ ぜひ、あなたのお気持ちからの言葉を届けていただけますか?

 

貴重なお時間を使って、継続してご精読いただいて、本当に有り難うございます

お読みいただけるだけでも、心から感謝を感じています。

引き続き、こちらのアンケートにて、ご自身の言葉からのフィードバックをいただけましたら幸いです。

新たな気づきや発見などもありましたら、ぜひ、お伝えいただければ嬉しく思います。

インプット&アウトプットすることで、よりご自身のものにしていただけるかと思います。

 

四つ葉のクローバーの画像

 

 

  • ほんわか倶楽部では、「ほんものの傾聴」とは何だろうか?と、大切に考えて共に追い求めていこうとするお気持ちのおありの方のみとパートナーシップを結ばせていただきたいと考えております。
  • そのため、真摯に傾聴をお考えになる方にこそ、ぜひ、稀有なより良い機会をお届けさせていただきたいと取り組んでおります。

 

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