真摯な傾聴を求めて来られる心を…
いつも、ご精読いただき、ありがとうございます。
ほんわか倶楽部・事務局の村田 敦(つとむ)です。
このトピックスはメール講座・本文『クライエントにアドバイスをすると、失敗する理由(その1)』を読んで、私が思い浮かんだことを綴った拙文です。(メール講座・本文ではありません)
傾聴自体も当然に万能ではないため、ビジネスや日常生活の全てにおいて傾聴だけを使えば良いとは思いませんが、傾聴が必要な時には、いつでも傾聴スイッチをONにできるかどうかというのも大切だと、私は捉えています。
◇ 真摯な傾聴を求めて来られる心を…
以前に私は、”真摯な傾聴を求めて”来られる方々に向けて、ほんわか倶楽部のWEBサイトで『余計なアドバイスをしない理由』を、実感をもとに書いたことがあります。
ですが、このようなことは頭では分かっていても、つい、アドバイスをしてしまいたくなったり、してしまう傾聴者の方もおられます。
正直に言えば、私自身もそう思ってしまう時があります。
その気持ち自体を否定するわけではありませんが、そのようなことはクライエントさんをストレス過多にしてしまいかねないですし、下手しますとクレームになってしまう可能性が高くなってしまうでしょう。
(なお、クレームになってしまうようなケースは、ほんわか倶楽部では稀ですが、もし、そうなってしまった際はクライエントさんさえ良ければ、私が傾聴させていただくことでカバーに努めたりします)
なぜなら、ほんわか倶楽部に巡り巡って来ていただけるクライエントさんは、「真摯な傾聴」を求めて、とんでもない勇気を出してお申し込みされるからです。
一言では言えませんが、傾聴を切に求めてこられている時の心情とは…どのようなものでしょうか?
きっと、自分自身の経験から思い起こすのが最もイメージしやすいでしょうし、実感も呼び起しやすいと思います。
それもまた、クライエントさんと同じとは限らず、たとえ、類似するところがあったとしても同じではないですよね?
ですので、傾聴を求めて来られる時のお気持ち、心を、考えうる限り…考え続けること・感じ続けようとすることは、とても肝要だと思っています。
私も過去に、ほんわか倶楽部サイトのブログで『辛い時、話を肯定的に聴いてもらうということ』というタイトルで触れたことがあります。
◇ 軸は、どこにありますか?
もしかしたら、せっかくクレームを言っていただけたとしても「私(傾聴者)は、●●(クライエント)さんのことを思って!」という気持ちも湧いてくるかもしれません。
お相手の現実を思ってこそ出てくる、”解決思考”を否定するつもりはありません。
「傾聴してもらっている時は楽になれるけど、現実に戻ったら…また」というリアルも高い確率で考えられます。
ですが、もし、アドバイスをした自分に執着して囚われてしまうならば、それは”自分(傾聴者)軸中心”になっていて、”クライエントさん軸から離れてしまっているということはないでしょうか?
ましてや、もし「アドバイスしたことが分かってもらえないなら、●●さんの捉え方が良くない」的に、傾聴の場でティーチングに偏って思ってしまったら、奥深くにある最も主訴であるところが見えなくなってしまうと思えます。
(このことは、アドバイスが的を射ている・いない、どちらに思えたとしてもです)。
そうなったら、もはや「傾聴者」の基本態度ですらなくなっているのではないでしょうか?
◇ 一緒に浸る・泳ぐ
傾聴とは、相手軸を感じ切ようとする”寄り添い思考”が土台だとも言えます。
「あなたは、そう感じるんだね」という海を、一緒に泳ぐような感覚だと私は思っています。
(ここで、海に呑まれそうだという方は、別途「共感と同感」の違いなどで学んでいただけます)。
心での寄り添いが中途半端なままで、どこまで的確に解決の方向性を見立てられるのかと考えたら…
それは無理があるということにならないでしょうか。
そもそも、心で寄り添いしきれていない段階で、アドバイスを聴かせられること自体、たとえ、それが的を射ていたとしても苦痛になるということはないでしょうか。
表面上は仲良く笑って聞いてくれていたとしても、内心では失望しているということもあるかもしれません。
◇ まずは基本を大切に、ですね
基本は、外してはいけないから「基本」なのであり、そこには幾つもの意味があり、つい分かったような気にならないよう気をつけて、そのことを知っていけるほうが有意義だと言えますよね。
もし、傾聴中に傾聴者自身から基本を外されてしまうと、ガラッと崩れるケースを、私もクライエントとしてもいくつも感じてきました。
基本を外して良いのは、基本的なことを知っているだけではなく、腑に落としてしっかり出来ている上で、その効果を何度も実感してからだと思います。
そして、基本中の基本を外しても良いのは、その次のステップでの基本的なことの上に成り立つ、応用です。
ややこしい言い方になりましたが、つまり、初心者の段階で守る基本と、中級者の段階で守る基本とは階層が違ってきます。
(初心者から見たら一見、基本を外しているようで、実は初心者の基本を中級者は外していない、ということがステップアップしてくるにつれて視えてきます)。
まずは、深い深い”寄り添い思考”、簡単ではないかもしれませんがシンプルに言えば、この基本からだと思います。
深い深い”寄り添い思考”を維持しながら、傾聴の目的を歩んでいくのだと私は感じています。
解決思考は、クライエントさんが、このページで触れている「3.自分の方向性を、自らの内観から見出す」の段階になれた時に、その伴走を傾聴を通じて行なうことだと言えます。
ここで「1」「2」をスキップして「3」はありませんし、ぐるぐる回るではなく、このステップを歩んでいくにはスキルと、それを使いこなせるための具体的な視点も必要になります。
◇ 自分は、どのように感じやすいか観察する
前述のように、自分軸・相手軸のウェイト、傾聴時にその軸の位置が逆になるようなことは人によるところでしょうが、もしかしたら思い当たるところがないかどうか、自分自身に自問自答したいところです。
傾聴の場なのに、本心では「アドバイスしたい自分がウズウズしている」等々…
心のどこかで感じていることは、たとえ、言葉にしていなくても反応の仕方や言葉にニュアンスとして含まれて、お相手には伝わりますよね。
自分自身が気がついていなかったところまで、お相手には感じられることもあると思います。
傾聴が求められる場では、聴き手の反応1つ・言葉1つで話し手は敏感に感じ取り、流れがガラッと変わることは、よくご存知の方も多いのではないでしょうか?
まず、ここでは自分自身が、どの傾向が強いのかを見つめ直して把握することからですね。
それが傾聴の基本態度条件で、もっとも重要な「自己一致」して聴くということにも繋がりますし、自己一致した聴き方が出来ないと、聴くほどに無理が重なって辛くなってしまいます。
自己一致した聴き方とは、「あぁ、今、自分はお話を聴きながら、○○に感じているんだ」と自覚できることと、他所で私は学びました。
そこには「自分自身を客観的に見つめる」という要素が必要になってきますよね。
「見つめる」ですので、自分自身を「抑え込む」ことではなくて、お相手に寄り添うと同時に自分自身にも寄り添うことだと言えます。
それには、まず、自分自身がどのように感じやすい傾向があるのかを、改めて目を向けていくことからだと感じているところです。
拙文を綴りましたが、ご精読いただきまして、ありがとうございます。