それでも「支えになりたい」と思うとき —— 援助職と親密な関係における「課題の分離」

 

「力になれたら」「寄り添いたい」と思えば思うほど、いつのまにか他人の課題を自分のもののように背負い込んでしまう場面が生まれてしまうかもしれません。

とくに、援助職にある人や、家族・パートナーなど親密な関係においては、その境界線はとても曖昧になりがちです。

今回は、そんな"迷いやすい場面”に焦点を当てながら、アドラー心理学の「課題の分離」を、もう一歩深く見つめてみたいと思います。

 

援助職にありがちな"善意のすれ違い”

ケース1:支援対象者が行動を起こさない

 

「あれだけ話し合ったのに、また同じ悩みを繰り返している」

「これ以上、どう接すればよいのか分からない」

このような戸惑いや無力感は、支援の現場でよく聞かれる声かもしれません。

 

ですが、冷静に見つめてみると——

「どう行動するか」を選び、「その結果を引き受ける」のは相手本人です。

支援者にできるのは「関わりを提供すること」であり、「変化を強制すること」ではありません。

その一線を越えてしまうと、関係性はいつしか不自由なものへと変わっていきます。

 

支援者にとっての課題:

「私は、関わり方や姿勢に責任を持つ」

「けれど、相手の人生を"引き受ける”ことはできない」

 

ケース2:「よかれと思って」が関係を壊すとき

 

たとえば、親が子に「将来のためを思って」と進路を決めようとしたり、福祉職が「本人のために」と生活の選択肢を制限したり。

その背景には、愛情や誠実さがある場合も確かにあります。

でも、それが「他者の課題への侵入」につながってしまえば、相手は尊重されていないと感じ、信頼関係が崩れるリスクも生まれます。

 

自問したい視点:

「これは、"相手のため”という名目で、自分の不安を鎮めようとしていないだろうか?」

 

「支えになりたい」の奥にあるもの —— メサイア・コンプレックスという罠

 

「誰かの役に立ちたい」「力になりたい」と願う気持ちは、根底にある優しさから生まれるものです。

けれどその思いが強くなりすぎると、無意識のうちに「わたしが何とかしなければ」という思い込みが入り込みやすくなります。

それが、メサイア・コンプレックス(救世主コンプレックス)と呼ばれる状態です。

 

「自分が救わなければこの人はダメになる」

「自分の存在には救う価値がある」——

 

そうした意識の奥底には、"人の人生を引き受けようとするおこがましさ”が、無自覚に潜んでいる可能性もあります。

それは時に、「相手の人生を支える」立場から逸れて、「相手の人生を握りたい」という欲求にすり替わってしまうのです。

メサイア・コンプレックスに陥ると、相手が変わらなければ「自分のせい」と責めたり、思うように動いてくれなければ「どうしてわかってくれないの」と怒りを抱いたりすることもあります。

自分の存在価値を、他者の変化や回復で証明しようとする関わりでは、本来の相手の力を信じる姿勢からは離れてしまいます。

 

気づくための問いかけ:

「いま、私は"誰かを助けている自分”という役割を守ろうとしていないだろうか?」

「この関係の中で、"目の前の相手”をちゃんと見ているだろうか?」

 

親密な関係における「課題の分離」の難しさ

ケース3:パートナーの不調に、心がかき乱される

 

共に暮らす相手が疲れていたり、落ち込んでいたりすると、自分まで心が不安定になることがあります。

「どうして元気になってくれないの?」

「わたしが何か悪かったのかな…」

 

これはとても自然な反応ですが、注意したいのは、「相手の気分や行動」=「自分が何とかすべき対象」と思い込んでしまう思考の癖です。

相手の感情や不調を「なんとかしたい」と思うとき、それは愛情というよりも、「責任の混同」から生じる焦りかもしれません。

 

そのとき大切にしたい視点:

「あなたの痛みに寄り添いたい。でも、それを代わりに背負うことはできない」

 

「支える」と「背負う」は違う

 

人の人生は、その人自身のものです。

どれだけ親密な関係であっても、肩代わりはできません。

関わりながらも、相手の課題に踏み込まないという姿勢は、突き放す冷たさではなく、「あなたの力を信じています」という静かなまなざしです。

 

支える=隣にいるという姿勢

背負う=代わりに生きようとする行為

このちがいを意識できるかどうかが、関係性に大きな差を生みます。

 

援助・支援における課題の分離は「在り方」の選択

 

アドラーは「課題の分離」を、「どう関わるか」を問い直す倫理のように捉えていました。

  • 相手が変わらなくても、自分はどう在りたいか
  • 結果が見えなくても、自分が信じる関わりを続けられるか

 

援助職として、また親密な存在として、「わたしの課題」に誠実である姿勢が、最終的にはもっとも信頼される関係につながっていきます。

 

まとめ:関わりながら、引き受けすぎない

 

人を支える営みは、ときに痛みや苛立ち、無力さを抱えるものです。

けれど私たちが見失いたくないのは、「誰かのために」と願う気持ちが、いつのまにか「相手の人生を動かしたい」という欲望にすり替わってしまわないか、という問いです。

課題の分離とは、まさにそのあいだに引かれる見えないけれど大切な境界線。

それは冷たさではなく、敬意と信頼のしるしです。