風のささやき

 

彼の目には、まるで言葉の先に浮かぶ霧のようなものが見えた。

 

「変わるって怖いよね。」

男の子は、視線を落としてつぶやいた。

その声には、わずかに震えが混じり、まるで風の中で迷子になった小鳥のように、どこか不安げだった。

 

祖母は、彼の言葉をしばらく静かに受け止めた。

少しだけ深呼吸をしてから、ゆっくりとした口調で言った。

「でも、変わらないってことも、結局、同じところに留まることだと思うの。変化そのものは悪いことじゃないのよ。」

 

男の子は黙ってその言葉を反芻しながら、目の前に広がる庭の景色に視線を移した。

季節は秋の終わり、木々の葉が黄色や赤に染まり、風に揺れながら舞い落ちている。

冷たい空気が肌を包み、頬をわずかにひりつかせる。

その感覚が、何か心の中にある冷えた部分を呼び覚ました。

 

彼はじっと庭を見つめながら、内心で葛藤していた。

変わらなければ、今の安心感を保てる気がする。

でも、変わりたいという欲求も、いつもどこかで膨らんでいた。

 

目の前の黄色くなった葉が、静かに地面に落ちる音が耳に響き、まるで自分の気持ちが何かに押しつぶされているように感じた。

どうしても動けなかった。

その時、祖母の声が再び響いた。

「変わらなければならないって思う必要はないよ。」

彼女は、男の子の表情を見つめながら、言葉を選んだ。

「ただ、自分のペースで、少しずつ変わることが大切なの。無理に急がなくていいんだよ。」

 

その言葉に男の子は、少しだけ安心感を覚えた。

無理に急がなくていいという言葉は、心の中で静かな波を立て、彼の思考を解きほぐしてくれるようだった。

けれど、やはりどこか心の中で押し寄せてくる不安が消えない。

変わりたいと思う自分と、変わることが怖い自分、二つの自分がぐるぐると絡み合っている。

 

男の子は、さらに自分の気持ちを探ろうとした。

変わることが怖い。 それは、新しい自分になったとき、周りの人々が自分をどう思うのかがわからないからだ。

もし、自分が変わったことで、周囲の期待に応えられなくなったらどうしよう。

そんな思いが心に広がり、息苦しさを感じる。胸が、ぎゅっと締めつけられるような感覚がした。

 

彼は、口の中の乾きが気になり、唇を舐めた。舌が乾燥してひび割れそうになり、軽く喉を鳴らす。

冷たい風が頬を撫で、その冷たさが肌にじんわりと染み込んでいく。

まるでその冷たさが、彼の心の奥深くまで届いているように感じた。

自分を守るために殻を作ってきたのだが、その殻の中で閉じ込められているような息苦しさがあった。

 

でも、変わるってどういうことだろう?

変わることは、単に外見や行動を変えることではなく、自分の内面がどう変わるのかに関わる気がしていた。

新しい自分が、自分にとってはどれほど強く、また不安定な存在であるのか。

自分の未来に一歩踏み出す勇気を持っても、その先に何が待っているのかを知ることはできない。

その不安が、さらに彼を惑わせた。

 

「でも、急がなくていいんだよね?」男の子は、少しだけ息を呑みながら言った。

声には、ほんのわずかな頼りなさが滲んでいた。

祖母は彼の目をじっと見つめ、やさしく頷いた。

「そう。無理に急ぐ必要はないよ。焦らなくていい。」

 

その時、男の子は小さく肩をすくめた。

「焦っても、結局うまくいかないんだろう。」

彼はそれを心の中で繰り返しながら、目を閉じた。

耳を澄ませると、遠くで木の枝が揺れる音が聞こえ、その音が心の中で波のように広がっていく気がした。

 

庭の木々の葉が、ゆっくりと風に舞い落ちていく様子を見ながら、男の子は静かに息を吸い込んだ。

変わりたいと思いながらも、変わることに怖さを感じる自分。

その間で揺れ動いていた。

新しい自分を迎え入れることは、もしかしたら自分を守っていた殻を壊すことになるのかもしれない。

でも、それこそが自分が本当に歩むべき道なのだろうか。

 

「でも、まだ自分にできることがあるはずだ。」

その思いが、少しずつ胸の中で膨らんでいった。

変わることを恐れながらも、少しずつその恐れに向き合おうとしている自分に、少しだけ力強さを感じる瞬間があった。

 

男の子は深く息を吸い込み、ゆっくりとその息を吐き出した。秋の冷たい風が、彼の頬を撫でる。

その風の感触は、まるで新しい世界に踏み出すための一歩を踏み出すために必要な、少し冷たいけれども新鮮なエネルギーを与えてくれるように感じられた。

 

変わりたい。でも怖い。

でも、これからどう生きるかを選ぶのは自分なんだと、少しだけ覚悟を決めることができた。

それが、男の子の小さな一歩だった。