線香花火のような自己承認欲求と消えかけの心の火
あなたにもきっと――いや、たぶん――あの瞬間の小さな高揚感と、そのすぐ後に訪れる物足りなさを覚えているはずだ。
なんとなく嬉しいけど、なんか違う……胸がふわっと浮くような瞬間のあと、すぐに沈む空白。
ねえ、分かるだろうか…
本質よりも分かりやすいものが好まれる心理
本質は、正直、面倒くさい。
分かりやすいものの方が、つい手を伸ばしやすい。
「わかった気になる」――その瞬間は、知識を得たというより、感情が甘く満たされるだけかもしれない。
偏りがあっても、自己バイアスという都合のいいフィルターを通せば、気にならなくなる。
いや、半分は本気で気づいていないのかもしれない。
あなたも、自己肯定感より自己承認欲求を満たすほうが、ずっと手軽で快いと感じることはないだろうか?
自己肯定感は「ありのままの自分を受け入れる」静かな土台。
一方で、自己承認欲求は「誰かに認められる」ことで一瞬の熱を得られる――まるで線香花火のように瞬く光。
その熱を一度味わうと、つい手を伸ばしてしまう。
気づけば、置き去りにしたものが何であろうと、心は知らぬ間に進んでしまう。
見落とされる小さな声
小さな声、か細すぎて届かない声――他者の心の中で鳴る微かなシグナルは、意識しないと簡単に見落としてしまう。
それは、霧が目の前をすり抜けるようなもの。
積み重なると、向こう側が見えなくなり、関係に静かな距離が生まれる。
日常で、目の前の小さなサインを聞き逃してしまうこと、誰しも経験があるのではないだろうか。
「経てきた」と「得てきた」の違い
時間やお金をかけて学んだプロセスも、気づけば「経てきた」だけに過ぎず、得た実感は遠い。
努力の結果は、棚の奥で埃をかぶった土産のように風化することもある。
それを、記憶力のせいにして笑ってしまう。
でも、本当は握っていなかっただけかもしれない。
ブランドと拡張自我の共通点
ブランド品を手にしたときの根拠のない自信、あの感覚。
同じように、人はプロパガンダやSNS依存に絡め取られやすい…。
タイムラインを流していると、赤い通知が目に飛び込み、胸がふっと膨らむ。
呼吸は浅くなり、指は勝手にタップ。
「いいね」の数や短いコメントに、小さな花火が心の中で弾け、甘い煙の匂いが広がる。
でも、その煙はすぐに風に流される。
空白が戻り、指はまた動き、感情は一瞬だけ解放――いや、誤魔化されるだけだ。
消えていく心の火
気づかぬうちに、本当の火は弱まる。
夜の森で囲む焚き火。
パチパチと木がはぜる音。焦げた薪の匂い。
頬をじんわり温める熱――確かにそこにあった。
しかし、雨粒が火に落ちるたび、シュッと音を立て小さな煙が立ち上がる。
赤く揺れていた炎は青白くなり、やがて静かに消えていく。
これは、承認欲求ばかりを燃料にしてきた火が、雨に打たれた瞬間だ。
内から起こす火
出口は、外からの燃料ではなく、内から火を起こす行動にある。
濡れた薪をそっとどけ、手で風を送り、乾いた枝をくべる。
自分の価値を静かに認める行動。
他者のか細い声に耳を澄ます行動。
派手な熱より、長く続く温もりを選ぶ意志。
そうして生まれた火は、雨が降っても消えにくい。
派手ではないけれど、夜を照らす灯として確かに残る…。


